上沼八郎先生


略歴



1927年長野県に生まれる。名古屋大学教育学部卒業。実践女子大学、奈良教育大学教授、高千穂商科大学教授など歴任、教育学博士(名古屋大学)。著書:『伊沢修二』(吉川弘文館)『信州教育史の研究』(信濃教育会)『沖縄教育論』(南方同朋援護会)「森有礼の教育思想とその背景」(『明治国家の権力と思想』所収・吉川弘文館)

序文

日本近代思想の原型を探る


わが国近代史において、最も魅力あ人物の一人が森有禮であることに大方の人々とは同意されるにちがいない。その理由は、あの「維新」の激動期を体あたりで生き抜き、ついに斃れたという悲劇の一生で総括されよう。
しかもその行動半径はきわめて広く、多様である。開国直後の外交官の代表として欧米や中国との折衝に敏腕をふるい、初代文部大臣として近代公教育制度の骨格を作りあげたことは周知の通り。同時に啓蒙思想家として明六社を結成、近代日本の方向づけに腐心した。このために時には官僚の枠からはみ出す果敢な言動を示し、さまざまな誤解の渦中で四十三年の生命を散らした。この森の魅力有る全体像については、旧版『森有禮全集』の編者大久保利謙先生も率直に指摘しておられる。
浩瀚な旧版(全三巻)から浮かびあがる森の人間像は、言わば近代的国際派日本人の原型とも名づけられるべきものかもしれない。それは日本の近代が直面した東洋と西洋の価値観の融合、全体と個体の倫理的複合矛盾が渾然一体化し、その接點で形成されたものに他なるまい。その姿勢は終始誠実熱心、私情をこえた公的精神で一貫していた。
森の生誕後百五十年、死後百余年を経た。しかしその言動は、右のように今なお鮮度を失っていない。しかも四半世紀前の旧版はすでに稀少となり、江湖に求める声も高いと聞く。そこで新修版は、犬塚孝明氏の協力を得て旧版からもれおちた資料をもりこみ、旧版の「補遺」を正しく位置づけて欠を補い、新たに全5巻に再編するとともに解題などは別巻に収め、広く利便に供することとした。旧版収録の資料は約350点、これに新資料を加えると四百点を優に越える決定版ともなろう。このことは、かねてから、大久保先生も強く望んでおられたところであったが、遺憾ながら生前に実現することはできなかった。今回漸く機会をえてその遺志を体して再刊にふみきることができた。
この際、形体はあくまでも旧版を基調として新資料を編みこむことにしている。このためあえて亡き大久保先生を監修者に仰ぐこととしたが、寛容な先生はこの僭称をお赦しくださるにちがいない。


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